In principio erat Evolutionis

行動生態学・進化心理学などの勉強ノート・書評

『人間進化の科学哲学』その4

第3章 遺伝子と文化の二重継承説

 文化進化の理論に関して,二重継承説より以前に文化進化を考察したミーム論について触れる.ルウォンティンによる選択の三条件(形質の遺伝,変異,適応度の差異)を遺伝の原理とし,それをドーキンスが自己複製子(レプリケーター)の複製条件と読み替え,文化進化に適応したものがミーム論となる.ミーム論に対しては,文化の進化の場合,自己複製子というものがあると見なしたとしても,その突然変異率が高く,累積的進化を望むことが難しいという批判がなされ,そうした批判を乗り越えるべく提出された説が,本章で扱う遺伝子と文化の二重継承説である.

 二重継承説は,カヴァッリ=スフォルツァとフェルドマンの研究(1981)や,ボイドとリチャーソンの研究(1985)などを契機としており,進化心理学の勃興よりやや早い時期に研究が始まっている.二重継承説の主張は「文化は遺伝的進化の産物であるというだけでなく,文化が遺伝的進化を促進することもある.」(p.61)というものである.そして二重継承の心理メカニズムとして,模倣バイアスが挙げられている.模倣バイアスとは,「権威者」の行動を他の学習者が真似をすることによって,文化の累積的進化が可能となるという仕組みである.模倣バイアスは,権威バイアスと同調バイアスによって,突然変異の程度を十分に低く抑え,文化が世代を経るごとに徐々に適応的なものになってゆくことによって,文化の累積的進化を可能にしていると捉えることができる.

 文化の累積的進化の成功条件には,個体群サイズ,協力的な集団であることといったものが考えられる.個体群サイズについては,タスマニア島がオーストラリア本土から,海面上昇によって切り離されてしまったがために個体群サイズが小さくなり,文化の継承が難しくなったという議論が紹介されている.協力的な集団については,行動の模倣のしやすさの程度の問題と関連している.模倣対象の行動を学習することが困難であれば,模倣される側の協力がないと学習できない可能性があるということである.狩猟採集文化において,子どもに狩りを教えるということをその例としている.

 それではこの模倣バイアスそのものは進化の過程でどのように適応産物として生じたのか.ボイドとリチャーソンの説明によると,(EEAとして想定される)更新世においては環境の変動が激しく,それゆえに集団内の各個人が試行錯誤して行動するよりも,権威者の行動を模倣する方が適応的であっただろうということである.もっとも不安定さが非常に激しく,わずか数世代で環境条件が変化するような場合は個人の試行錯誤の方が適応的である可能性もあると著者は記している.そし二重継承説による文化進化の議論を,ルウォンティンの三条件に沿って,模倣エラー・個人の試行錯誤による変異,同調バイアス・権威バイアスなどによる文化遺伝,文化適応度の差によって,文化においても累積的進化が生じるとまとめている. そして文化進化の例として,利他罰の進化,アメリカにおける矢じりの底幅と重さの相関,フィジーにおける魚食のタブー,同じくフィジーにおける土器の破片の厚さの進化の例を挙げている.

 

 この議論はよく理解できない.

  • 他の学習者すべてが権威者の行動を真似れば,集団内の各個人の適応度は同じになる.しかし,誰かがより適応度の高い行動を行えば,その行動を採用する個人の包括適応度はより大きくなるわけであって,模倣バイアスが生じる理由にならないのではないか.環境条件が非常に厳しい場合,(集団内である程度成功していると推定できるような行動を)模倣しないことが非常に非適応的であるということは言えるだろう,しかし,非適応の度合いが緩やかなものであれば個人の試行錯誤によってより適応的な行動が生じやすいと考えることもできるのではないだろうか.環境の不安定性というよりも,環境の厳しさが問題にはならないだろうか.
  • なぜ権威者の行動を模倣するか,その至近要因が不明だ.例えば,何らかの集合的行為を行うために集団内での協力が必要であり,協力しないものには制裁が科される,といった背景があるならば,権威者の行動を模倣するべき要因が各個人にあると言えるが,そういう議論でもないようだ.狩猟採集社会では狩猟の成功のためにリーダーの行動に皆で協力するよう動機付けられるというような論理なら理解しやすいのだが.
  • 上記のように集合行為問題があるとすると,集団内の諸個人の行動がより非適応的なものであったとしても,より適応度の高い行動をするような個体がごく少数現れても,文化は進化しないのではないか.つまり,集合的意思決定が関与するような文化的行動は,集団内の少数の個体の変異には左右されないことになるはずである(囚人のジレンマナッシュ均衡を念頭においている.).逆に言えば,漸進的進化の可能な文化とは,集合行為的性質の行動ではないものということになるのかもしれない.

 

 次に著者は模倣バイアスの進化について取り上げる.模倣バイアスは信頼性バイアスというより一般的な枠組みの一部として理解できるかもしれないことを示唆する.先に見たように,ボイドとリチャーソンの研究では,模倣バイアスは環境変動の激しかった更新世においてヒトが獲得した形質であるとしている.しかし,近年の研究によると,チンパンジーやオマキザルにも模倣バイアスが見られるようであり,模倣バイアスは更新世にヒトが獲得したとは言えないかもしれないとする.とはいえ,模倣バイアスがあったからこそ更新世を生き延びたという可能性もある.また,単にリーダーの行動に追随するといった程度であれば他の動物にも多く見られるため,模倣バイアスは,一般的な形質なのかもしれないことが述べられる.そして模倣バイアスは,実は信頼性バイアスの一例なのではないかということが,発達心理学の研究から示唆される.幼児の学習・模倣の研究によると,幼児は3〜4歳以降には,誰の情報から学習・模倣するかを判断しているようであり,そこには信頼性の判断のためのバイアスがあるということがわかる.英語圏の幼児の実験で,普通の英語話者とスペイン語訛りの英語の話者の二人では,幼児は普通の英語話者の行動をより真似しやすいという例が紹介されている.次に紹介されている,否定的な評価を与えた人と肯定的な評価を与えた人では,幼児は肯定的な評価を与えた人の方を信頼しやすいという例は面白い.このように幼児の段階で信頼性バイアスがあり,それは模倣バイアスと共通する点が多いのである.二重継承説は信頼性バイアスの枠組みによって拡張できる可能性があり,信頼性バイアスは何らかの心的モジュールが背後にあるかもしれない.この点で進化心理学とも関連するであろう.

 

 本章の感想は,先に述べたように,模倣バイアスの進化のメカニズムが今ひとつよく理解できないという点である.究極要因としての適応性はともかく,至近要因はよくわからない*1.ある文化的行動が適応的であるから生き延びたとは言えても,適応するためにその文化的行動を行うとは言えないはずだ.また,文化の適応的意義とは何だろうか.食物タブーの例であれば理解しやすい.しかしコクレーンによるフィジーでの土器の破片の厚さの変化の例ではどうだろうか.フィジーの土器の破片は,2700〜2300年前までと550年前以降では厚さの平均値が増加し,2300〜550年前では減少しているとし,薄い土器は熱によって壊される可能性が低いから適応的ではないかと示唆している.しかし,それではなぜそれ以外の時期(2700〜2300年前までと550年前以降)で厚さが増していったのかがわからない.土器の厚さの適応的意義は(仮にそれがあるとしても)解釈しにくいのではないだろうか.つまり,信頼性バイアスによる学習メカニズムによって偶然的に学習した結果,このような土器の厚さになった,というようには言えても,何らかの適応的意義があるとは想像しにくい.二重継承説の適用範囲は案外狭いものなのではないかという疑問がある.

 

次回は第Ⅱ部「文化進化研究へのアプローチ」に進み,第4章「文化進化のプロセス研究」を読む.

 

*1:リチャーソンらの研究はナイーブグループ淘汰的であると捉えればよいのだろう.