In principio erat Evolutionis

行動生態学・進化心理学などの勉強ノート・書評

『人間進化の科学哲学』その6

第5章「文化進化のパターン研究」

 本章では文化進化のパターン研究を取り上げている.パターン研究の中で最も重要なものが歴史的パターンの研究であり,その方法として用いられるのが系統学(phylogenetics)である.人間行動進化の観点で言えば,ヒトの近縁種(ネアンデルタールホモ・エレクトス)は絶滅しており,人間行動全般に関する系統学的研究は困難であるため,用いられにくいが,文化進化研究には利用されるとしている.

 系統学は,生物間の類縁関係(relatedness)の研究に用いられ,各生物のそれぞれの形質のコード化を行い,系統樹を最節約法などで推定することができる.この方法を文化進化に応用することができ,その例として,O'Brienらの1万年ほど前の南東アメリカの矢じりの変化の研究が挙げられている.こうした文化系統学は1990年代から2000年代初めに大きく進展し,進化考古学へと発展していった.同時期に人類学や写本文献学(stemmatology),言語学でも系統学的アプローチが用いられるようになってきた.

 人類学や写本文献学で系統学的アプローチが採られるようになった理由として,類似した文化は,環境に適応し,「収斂」した結果としてそうなっているのか,あるいは共通の歴史を有するかの判別の問題があったこと(「ゴルトンの問題」)や,写本が複数の系譜から成り立っていて(「混態」),系統のネットワークを解析する必要があったということが挙げられている.

 2000年代半ば以降,文化系統学はプロセス研究とも関わりながら研究され,例として,シベリアのハンティ族の服飾の系統関係や,チンパンジーのハンマー の種類(石のハンマーか木のハンマーか)の系統関係が,遺伝子の系統関係とは異なるため,文化的影響があることがわかるという研究などが示されている.

 

 著者はここで,系統学の方法論的問題について述べている.文化では各系統同士での情報のやりとりが多くあるため,「ツリー」の推定に妥当性があるだろうかという疑問が生まれる.この疑問に対しては,必ずしもツリーとして推定する必要はなく,上記の写本文献学の例などのように「ネットワーク」として系統関係を推定しても問題ないと述べている.また,オーストロネシア語族の言語のネットワークを分析してみたところ,水平伝播はあまり多くなく,近似的に「ツリー」とみなせる例が記されている.また,系統関係の「保持指数」(retention index)や「一致指数」(consistency index)の値を見て,必ずしもネットワークを形成していないという議論があるとしている*1.また,系統関係をどの単位で構築するべきかという問題もあり,文化進化に関して言えば,生物における「遺伝子」に相当するものがないということが指摘される.しかし,実用的にはどの形質を重要視して系統関係を推定するかについては研究者間で経験的な合意があるとしている.

 

 本章の感想.系統関係の推定の様々な実例が興味深い.前章で見た文化進化のプロセス研究では文化進化に際して何らかの選択圧が働きうることが記されていることを考えると,系統関係の「ネットワーク」において,ある文化が他の文化の形質を取り入れるときにどのような選択圧が働くのか,さらに考察の余地があるだろう*2

 

 次回は第Ⅲ部「人間行動進化の実例を検討する」に進み,第6章「罰の進化」を読む。

*1:もっとも収斂進化の影響もあるので,これらの指数だけでネットワークかツリーかを判断するのは難しいことを著者は指摘している.

*2:明治維新以後の日本の近代化の例はどうなのだろうか.