井原泰雄 (2017)「現代的な文化進化の理論」(『文化進化の考古学』第1章,pp. 1-34)の蓄積的文化進化モデルについて
David Bussの進化心理学の教科書に手を出す傍らで『文化進化の考古学』を読んでみたところ,第1章の文化進化のモデルの数学的扱いにかなり悩まされたので,ここに紹介してみたい.
数理モデル
『人間進化の科学哲学』の第3章でも少し触れられているヘンリック (2004)のモデルを本章では紹介している.
- N個体の社会を想定し,それぞれの個体が技術を模倣する.
- その際,集団内で最も高い技術水準()を持つ個体を模倣する
- 模倣にはエラーが伴い,模倣後の個々の技術水準の確率密度関数は次のガンベル分布に従うものとする.(ここで,は最頻値を表し,は学習のばらつきの程度を示すパラメータである.)
- この分布の期待値はとなる(但し,はオイラー・マスケローニの定数).
- この分布に従って,各個体が学習を行うとき,各時刻においては,最も高い技術水準の値が変化するのみで,他のパラメータは一定であるとする.
- このとき,その社会における各時刻間の平均技術水準の変動は以下の式で表せる.が成り立つ.
- これより,平均技術水準が増加するために必要な最小のは,であることがわかる.
何がわからなかったか
-
以上の内容が式の展開なしに書かれていたため,の導出方法が全くわからなかった.
ヘンリック・モデルの導出
元となったヘンリックの論文(のmanuscript?)も参照しながら,なんとか自分なりに理解してみた.以下にまとめてみる.
a) 蓄積的文化進化の方程式
ヘンリック論文ではプライス方程式に基づいて,蓄積的文化進化をモデル化している.
- ある個体の技術は,確率によって学習対象として選択される.
- N人の学習後の技術水準の期待値はとなる.
- この式はプライス方程式型なので,以下のように変形できる*1.
- ここで,集団内の技術水準の最高値を有する個人のみを模倣すると考える.すなわち,であり,
- ここでより,であることに注意すると,となることがわかる.
b) ガンベル分布の極値分布
N人の学習結果の最高値の分布をガンベル分布の極値分布を考えることにによって求める.
- まず,個々人の技術水準のガンベル分布の累積分布関数を考えると,となる.
- ここでN人の集団全体の技術水準の累積分布関数を考えると,となる.これはN人の技術水準の最高値の累積分布である.(この式はヘンリックの論文にも明示的には書かれていない.)
- 上記の累積分布関数をで微分し,確率密度関数を求めると次のようになる.(この式がヘンリックの論文のAppendixに掲載されていたので,ここから逆算して上記の累積分布関数を思いついた*2)
- この分布の期待値は,であり,簡単な計算から,であることがわかる.つまり,N人の技術水準の最高値の期待値がNに依存する.
- ここで,個々人のガンベル分布の期待値より,であり,また,となるので,であることがわかる.
以上,2週間近く四苦八苦したものの,なんとか蓄積的文化進化の数理モデルを理解することができた.苦労した点の一つは,ガンベル分布自体が極値分布の一つ(指数分布の極値分布)であるのに,ガンベル分布の極値分布を考える,というところだ.ヘンリック論文を読む前は,個々人の技術水準自体は指数分布に従っていると解釈せざるを得ないのではないか,と延々と考えたが結論が出ず,ようやくヘンリック論文を検索して読んでみて,なんとか理解できた.しかしヘンリック論文のAppendixにも,N人の学習による確率密度関数が天下り的に与えられており,累積分布関数がそこから逆算できることに気がつくまでは,どうしてこの確率密度関数になるのかがわからず大いに戸惑った.
次回は本当に,David BussのEvolutionary Psychologyに進みたい.