In principio erat Evolutionis

行動生態学・進化心理学などの勉強ノート・書評

『人間進化の科学哲学』その5

第4章「文化進化のプロセス研究」

 第Ⅱ部は本章と次の第5章で構成されている.第Ⅱ部では文化進化の具体例を検討し,それらを文化の「プロセス研究」と「パターン研究」に分け,本章ではプロセス研究を扱う.まず文化について,Richerson and Boyd (2005, p.5)の定義を借りて,

文化とは,「教育,模倣,そして社会的伝達のその他の形態を通じ,同種の他個体から獲得され,個人の行動に影響を与えうる情報」で構成される行動・人工物など(p. 83,原文では引用符の誤りがあると思われるので修正している)

であると定義している.この定義は,文化進化の研究の対象となる「文化」が模倣や教育などの社会的学習*1によって獲得されることが多いという意味で妥当である.進化のプロセス研究とパターン研究の違いは,プロセス研究が選択圧を考察するものであるのに対し,パターン研究は自然における何らかの秩序関係を考察するものであるとしている.

 ここで,文化進化研究に対する誤解について述べている.一つは社会進化論的誤解であり,「進化」と「進歩」を同一視する見方である.もう一つは人文学・社会科学を生物学へ統合してしまうのではないかという危惧である.二つ目の誤解についてはダニエル・デネットが反駁していて,自然選択に基づく進化の定義は,実は生命の性質に依拠しているものではないという趣旨で誤解を解いている点が興味深い.

 

 次に文化のプロセス研究の例として疫学モデルが取り上げられる.スペルバー,ボイヤー,アトランといった疫学モデルの研究者らは文化進化について以下のように考えている.

  • 文化の突然変異率は非常に高い(つまり,累積的進化ではない)
  • われわれが持つ何らかの課題に特化した普遍的な心理メカニズムがアトラクターを形成している(進化心理学の「モジュール」に類似する)
  • 各世代の文化はアトラクターの付近に分布している
  • (従って,)各世代で類似した文化が見られる

 

 文化の突然変異率の高さとは,遺伝子の突然変異率の低さに比較すれば非常に高いのではあるが,累積的進化がそれゆえに不可能である,とまでは言えないと著者は批判する.スペルバーは文化は模倣ではなく推論によって受け継がれると主張するが,全く模倣がないとは言えない(著者は自分自身の例として,神社や寺の参拝方法を挙げている).

 アトラクターについては,ボイヤーによると,多くの宗教では直感を裏切るような言明であるところの「存在論的期待」があり,その背後には何らかの心的アトラクターがあるだろうとする.また,ニコラスやプリンスの研究では否定的な感情を強く引き起こす規範が受け継がれやすいことを示し,否定的感情がアトラクターになっていることを示唆している.ただし,アトラクターは文化の累積的進化を否定するようなものではなく,文化の適応度に影響を与える重要な要因の一つと捉えることができるのではないかと著者は指摘する.二重継承説側の立場では心的アトラクターを「内容バイアス」として捉えている.内容バイアスは文化の内容の違いによって文化の進化に違いが出るとするものであり,他方「文脈バイアス」ではコンテクストに応じて文化の学習が変化するというものである(模倣バイアスがその例).

 

 次に,言語進化について論じられている.「構成論的アプローチ」と「生成文法のアプローチ」の2つが取り上げられる.構成論的アプローチとは,エージェント同士の相互作用によってどのような状態が生じるかを考察するものである.「生成文法」はチョムスキーの提唱に始まる理論であり,ヒトは言語に特化した能力を有していて,「普遍文法」を持っていると考えるものである.

 ここで,構成論的アプローチを取る研究者は,言語進化には,生物進化よりも文化進化の方がより大きな影響を与えているとし,彼らから見ると,生成文法の考え方は生物進化に大きく依存しているという問題点があるということになるようだ.

 著者によるとこの対立軸は不適切で,生成文法のアプローチも変化してきており,主流となっている「ミニマリスト・プログラム」は構成論的アプローチに近いことを指摘している.

 

  ここで,人間行動生態学と文化の関係を論じる.人間行動生態学について,行動をもたらすような心理メカニズムについて明らかしていないものの,世代を超えて共通する行動に関して言えば,何らかの模倣がないとは考えにくいので,人間行動生態学の研究対象も文化と捉えてよく,人間行動生態学のアプローチによって,文化の適応度を明らかにし,さらに文化の適応度と生物学的適応度の一致の度合いを見ることができるだろうとしている.

 

 最後に,文化進化の他の要因として,「文脈バイアス」や「浮動」(drift)の要因もあることを示している.

 

 本章の感想.文化の突然変異率の高さをどのように捉えるかが問題となっている.当然DNAの複製のエラー率に比べたら文化の変異率が高いのは当然であろう.もっとも,生物学的な種の進化にしても,ダーウィンが想定していたよりは非常に速く起こる場合があることが今日では知られている.Reznick(2011)にはロンドンのアンダーグラウンドではチカイエカがアンダーグラウンドの形成以後,地表に住む種から,急速に種分化していった例が記されている.ましてや文化進化は生物学的種の進化より急速であって何らおかしくはないだろう.要はルウォンティンの選択の三条件(遺伝・変異・適応度の差異)における,「遺伝」と「変異」は文化進化においては程度問題であって,研究対象の文化が一定以上に渡って継続されていれば十分ではないだろうか.適応度に差異によって,長期的には変化の傾向性や,変化の傾向と変化をもたらすような要因が観察できると考えておけばよいのではないかと思われる.

 

The

The "Origin" Then and Now: An Interpretive Guide to the "Origin of Species"

 

 レズニックによる『種の起原』の解説本.現代的な進化論の理解に基づきつつ,ダーウィンの生きていた時代背景のもとで,ダーウィンが『種の起原』でどのようなアプローチでもって自然選択説を証明しようとしていたのか,よく理解できる一冊.

 

 次回は第5章「文化進化のパターン研究」を読む。

 

*1:第2章にて触れたアレクサンダーの言うところの社会的学習とは全く異なる.